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2015年7月3日金曜日

ティモールの歴史と私たちの暮らし





つい最近、「カンタ・ティモール」という映画の
上映会が関市で開催されたとの情報を受けて、
この本について書いてみようと思います。



『いつかロロサエの森で』




*「ロロサエ」とは、東ティモールの共通語
 であるテトゥン語で「日が昇る場所」という意味




ティモール島は、16世紀初頭にポルトガルが
植民地としてから、インドネシアや日本によって
支配されてきました。

第二次大戦後はティモール島の西半分を
インドネシアが、東半分をポルトガルが支配。
1975年にポルトガルが東ティモールから撤退
すると、インドネシアが東ティモールに軍事侵攻。

国連はインドネシアに即時撤退を求める
決議を出し続けますが、インドネシアはこれを
無視。

以来、24年間にわたってインドネシアから弾圧
された東ティモールでは、全人口の3分の1が
命を失ったといいます。





この本は、フリージャーナリストの南風島渉
(はえじまわたる)氏が、インドネシアからの
独立を目指して活動する人々の様子を
描いたものです。


そして同時に、国際社会と日本の責任を
問いかける、そんな内容です。



なぜ日本の責任?



国連のインドネシアへの即時撤退決議に、
当時の日本政府は反対及び棄権票を投じ続け
ました。


日本にとってインドネシアは、石油や天然ガスを
提供国として、またシーレーン上の大国として
重要な存在でした。


さらに、東ティモールに侵攻した当時のスハルト
政権に、最大級の政府開発援助で支援を
続けたのも日本。


日本は、自国のエネルギー確保のために、
インドネシアが武力で東ティモールを蹂躙する
のを容認したといってもいいでしょう。






当時の東ティモールで何が起こっていたのか?
インドネシアを支援した日本やアメリカの思惑は
どこにあったのか?


インドネシアの徹底した報道管制により、
海外の大手メディアが精度の高い情報を
入手することは極めて困難でした。


そんな中でも南風島氏は命の危険を
省みず、取材を続けたのです。


インドネシア軍の監視の目をすり抜けながら、
東ティモールの独立活動家と接触する場面
など、読んでいるこちらが息苦しくなるほどの
緊張感が伝わってきます。





国際社会の思惑と理不尽さ

東ティモールの人々の苦しみ

私たちの暮らしと政治

ジャーナリズムの意義




この本は様々なものを鋭く描き、そして私たちに
問いかけてきます。




*読んでみたいという方には無料で貸し出し
 します。詳細はお問い合わせください。





環音というサイトでは、ティモールの
 例をマンガで描いて、戦争と私たちの暮らしに
 ついて分かりやすく解説しています。
 こちらもご一読ください。

 環音さんのマンガ、わかりやすいけどイラストが
 可愛すぎて・・・「いつかロロサエの森で」の
 内容とはかなりのギャップです(^_^;)






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